隣の自意識は青い

 どうしようもなく惨めな気分になる日が、一週間に一日くらいの頻度であります。

 周囲の人間は勉強にバイトにサークルに忙しく、それでいて充実した(少なくとも傍目にはそう見える)毎日を送っているというのに、僕はそれらのどれ一つとして真面目に取り組まず、かといって趣味に没頭するわけでもなく、ただ漫然と過ごしている。その事実を再確認するたびに、自分はなんて無様な生活をしているのだろうと虚しくなるのです。

 

 たとえ生活が杜撰であったとしても、打ち込めるものがあるなら幸せだったと思います。打ち込めるものがなかったとしても、まともな習慣で生活できていたら、これほど自己嫌悪に苛まれることもなかったと思います。

 どうして僕はこんなにへっぽこなんでしょうか。毎日を棒に振り続け、気付けば二十歳になろうとしています。もう大人にならなければいけない年齢にもなって、そこいらの小学生にもできることさえできないなんて、情けなさすぎてもはや怒りすら覚える勢いです。

 

 嘘です。そこまで自分に厳しい性格をしていたのなら、そもそもここまで酷いことにはなってません。

 

 話は少し飛びますが、僕は少し前、物書きまがいのことをやっていました。といっても周りの作者に比べれば半分にも満たない文量しか書いていませんでしたし、作品の出来も決して優れているとは言い難いものだったので、あまり胸を張って書ける経歴でもありません。

 この「文章を書く」という行為に、僕はたいそう打ち込みました。頭の中に漠然と浮かんできた光景を文字に起こし、それを人に読んでもらうという体験がとても嬉しかったのです。物を書くことを覚えてからしばらくの間は、授業中も登下校中も創作のことばかり考えていました。先ほど述べたとおり、お世辞にも面白いとは言えない駄作ばかり書いていましたが、それでも楽しくて仕方なかったのです。

 

 しかし去年あたりを皮切りに、もうすっかり、何も書けなくなってしまいました。たぶんダニング・クルーガー曲線の山を越えた辺りに来たんだと思います。

 少しアイデアが浮かんできても、それで一本書き上げられる気が全くしない。面白い物を書ける自信はもっとない。ちょっと書いては違和感を覚えて白紙に戻し、また少し書いては消し……というのを繰り返しているうちに、気付けば一年経っていました。これもこの前の記事で書いた、「たくさんの小さな失敗」の一部と言えるでしょう。

 

 ちょっと前にTwitterで伸びていた漫画で、「優秀な人間を苦悩の万力で締め付けると文学がしぼり出される」というセリフがありました。僕は優秀な人間ではないので、苦悩の果てに何かが生まれることはありません。現状をうらぶれた心持ちで俯瞰することには何の意味もないのです。

 

 そうと分かっていても、自己嫌悪の波はお構いなしにやってきます。最近では過去の自分が冷めた目をして責め立ててくる妄想をするようになりました。

 でも現在の僕は過去の僕と地続きなので、彼らに責められる謂れはないと思っています。どころかこの惨憺たる状況は実質的に彼らのせいだと言えるのではないでしょうか。過去の僕がもっとしっかりした人間だったなら、ここまで思い悩むことにはならなかったはずですから。

 

 こうやって誰かのせいにしながら、いつも僕の自己嫌悪は終わります。本当に最悪です。誰か助けてください。

 嘘です。そもそも完全に自業自得なので助けてもらう余地なんてありませんし、助かったところでそれからどうすればいいのかも全く分かりません。

 

 チンケで妙ちきりんな自分語りばかり書いていて、なんだか恥ずかしくなってきました。ぼっちは自意識が暴走しがちであるといった旨の事を比企谷八幡も言っています。八幡が言うのなら間違いないのでしょう。

 本当に恥ずかしいので、ここで終わることにします。 

 

 さようなら。

 

 

 

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