サボタゲ - 8/27の雑記

今週のお題「サボる」

 

どうも、まっちゃです。

なにやら便利そうな機能があったので使うことにしました。無理やりネタを引っ張ってきてまで書かなければならない日記に続けるだけの価値があるのかは正直微妙なところではありますが、まあ存在意義など元からあってないようなものなので気にしないでおきましょう。

 

僕は昔から大層なサボり野郎です。しかも目に見える形で堂々とサボるのではなく、「掃除の時間になんとなくそこら辺をぶらつく」とか「部活のランニング中、顧問の視界から外れた時だけ歩く」みたいに姑息なサボり方をする子供でした。

 

今思うと、あれらは全部バレていたような気がします。注意されなかったのはたぶんみんなが僕に見切りをつけていたからなのでしょう。

少々薄情なように感じられますが、仮に僕がクラスメイトや教師と同じ立場だったとしても、僕みたいなクソガキのことはさっさと見限って、金輪際関わらずにいると思います。

 

ちなみに「サボる」の原語はフランス語の「サボタージュ」で、これは作業能率を落として雇用者側に損害を与える目的で行われます。これに対し、そもそも作業を行わないことによって損害を与える行為を「ストライキ」と呼びます。

 

つまり、僕がふらっと姿を消して掃除を滞らせるのは「サボり」ではなく「ストライキ」だったというわけですね。

こうやって無駄に文章をかさばらせて読者の能率を落とすのは「サボタージュ」になります。

 

サボるというのは実に麻薬的な行為です。他人が汗水たらして仕事をしていたり、皺深い脳味噌を絞り上げながらベクトルを合成したりしている間に遊ぶスマブラの面白さは、普通の人間が一生に味わう快感の総量を遥かに上回るほどのものです。

そこまで言うとスマブラ景品表示法でしょっぴかれかねませんが、少なくとも普段遊んでいる時よりサボって遊んでいる時の方がずっと楽しいのは皆さんにも覚えのあることなのではないでしょうか。

 

ですが、麻薬に幻覚や幻聴などの副作用があるのと同じく、サボりにも一種の副作用があります。それは「サボりすぎるとやる気が根っこから消えてなくなってしまう」というものです。

 

これは実体験なのですが、高校三年生のある日、僕はなんだか死ぬほど学校に行きたくなくなってしまい、誰にも内緒で学校をサボってしまいました。そして次の日も、そのまた次の日も「気分が乗らない」という理由で学校を休んだ結果、僕は完全に気力を失ってしまい、学校に出て授業を受けることができなくなったのです

 

このように、過度なサボりは破滅へと繋がっています。さらにタチの悪いことに、一度身に付いたサボり癖というのは、ちょっとやそっとじゃ消えないバッドステータスとして残り続けるのです。

逃げ出した先に楽園なんてありゃしねえのさ」というガッツの台詞がすべてを言い表していると言ってもいいでしょう。

 

とはいえいつもいつでもフルパワーで生きていると、今度はさっさと寿命が来てくたばってしまうので、適度なサボりはやっぱり必要なんだと思います。掃除をサボった経験や部活をサボった経験も、きっと僕の役に立ってくれるはずです。

 

でも掃除をサボるのはただひたすら迷惑なのでやっちゃダメでしたね。ごめんなさい。

以上です。

 

 

 

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