日記について - 8/26の雑記

日記のフォーマットが決まりません。

僕の日記なのでまあ好き放題やればいいとは思うのですが、毎度毎度「どうも、まっちゃです。」から始めてダラダラよく分からない文章を書くのはそもそも日記と呼べるのでしょうか。

 

このまま「どうも、まっちゃです。」から書き始めていると、いつか二度と「どうも、まっちゃです。」以外の書き出しを使えなくなってしまうような気がしたので、今回はこんな変則的な形でスタートさせてみました。

どうも、まっちゃです。

 

人間はその人生において、いったい何度「今日からしっかり日記をつけよう」と決意しては諦めていくのでしょうか。たぶん「明日から早起きしてランニングしよう」と決意して諦める回数の倍くらいはあると思います。

 

身近に日記をつける決意をしたことのある人間が居ないので、他の人間がどうなのかは全く分かりませんが、僕はこれまでの人生で少なくとも二十回は日記を書く決意を固めました。

これはつまり、少なくとも十九回は日記を書くことに飽きたということです。

 

『日記』と一口に言っても、そう毎日都合よく書くことが浮かぶわけもありません。

特に僕は起床→ゲーム→アニメ→昼飯→ゲーム→動画→就寝を未来永劫に繰り返し続けるだけの大学生なので、日々の生活をそのまま書いていては金太郎飴のように同じ文章ばかりが続くことになってしまいます。書いてて思ったんですけど、マジでカスみたいな夏休み送ってますね。

 

そうして「今日はわざわざ書き残すようなことも無かったな」という日が三日ほど続いてしまうと、それを境に日記なんて書くのをやめてしまうのです。

 

どうすれば日記をやめずに済むのでしょうか。小学生の時に夏休みの宿題で日記を課されてから、僕はずっと疑問に思ってきました。

そして大学生になった今でも、日記を継続するコツというか、秘訣のようなものが全く分かりません。というか単に書くネタがありません。

 

いっそ、日記を書くためだけに、毎日変なことをして生きてみるべきなのでしょうか。「バケツでねるねるねるね作ってみた」とか「でっけえメントス作ってコーラ注いでみた」とか、そういう駆け出しYoutuberみたいなことをずっとやっているべきなのでしょうか。そうすれば少なくともネタに困ることはなくなります。

 

その代わり僕は一生を日記に捧げるつもりで生きていかなければなりません。このように、日記は隙あらば人間の生活を乗っ取り、主導権を握ろうとしてきます。

日記による人類の支配は既に始動しているのです。日記帳がこの地球上に独自の文明を築くのも時間の問題と言えるでしょう。

 

信じるか信じないかはあなた次第ですが、こんな与太話なんて信じない方が幾分かマシだと思います。

さようなら。

 

 

 

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