塵も積もれば鬱になる

「自分で立てた目標を達成できない」というのは、実のところかなり大変なことなのではないかと思っています。今日は野菜を買いに行こう、今日は本を見に行こう、今日は散歩にでも行ってみよう等々、僕はよくその日のおおまかな予定を立てるのですが、それらの予定のうち、実際に達成されるものは三割にものぼりません。

ほかに何か予定があってできなかったとか、急に体調不良になってできなくなったとか、そういう事情ならまだいいのですが、なんとなくめんどくさいとか、予定を立てたことそのものをすっかり忘れていたとか、そういう僕自身の怠惰さによって失敗しているものが殆どです。

 

僕は常々、周囲の人たちから「自己肯定感が低すぎる」と言われ続けてきました。自分としては全くもって正当な評価を自身に下しているつもりなのですが、どうやらそうではないらしいのです。この文章を書いている今この時も、「自己肯定感が低いというのは『その暗い性格を何とかしろ』という意味であって、おまえが自分の優秀さを見誤っているというわけではないんだよ」と理性が囁いています。

といって、自己肯定感をそれなりに持っていた方が楽に生きられるということは、周囲の様々な実例から僕もよく知るところでした。それで一度、自らの自己肯定感を高めようと躍起になって努力していた時期があります。

 

なんだか胡散臭い自己啓発本を含む色々な本を読んだり、広告が虫のようにウジャウジャと湧いてくる怪しげなサイトを参考にしたり、僕なりに頑張って調べたところ、自己肯定感を上げるには「小さな目標を立てて、それを達成することを繰り返す」というルーティンが有用であるということが分かりました。ささやかな成功体験を積み重ねることで、自分に自信をつけることができるというのです。

 

もうこの時点で話のオチが見えてきたことと思われますが、僕はこのルーティンが全くできなかったので、自己肯定感がぜんぜん向上しませんでした。

小さな成功の繰り返しが自己肯定感を高めるというのならば、小さな失敗の繰り返しがどんな結果になるのかは火を見るよりも明らかでしょう。結局、僕はますます僕自身に失望しただけで終わりました。ひどい藪蛇です。

 

そもそも自己肯定とは「自分で認められるくらい立派な自分になろう」ではなく「ダメなところもあるけどそれでも自分を認めよう」という話なので、僕の努力は全くの空回りであったと言わざるを得ません。僕の自己肯定感が向上するのはもっと先の話になりそうです。

なんなら僕は一生この性格のままなのかもしれませんが、なんだかんだ、こんな自分も悪くないのではないかと思うようになってきました。「自己肯定感のない自分を肯定する」って、なんか詰みセーブみたいでウケますね。

 

さようなら。

 

 

 

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一人で二個食べたケーキ