8/5の雑記-1
どうも、まっちゃです。今朝起きて鏡を見た時、何故だか知らないけど異様に髪がいい感じに決まっていて、なんかウケてしまいました。前髪のあたりにマジでいい感じの流れが生まれていたのでそのまま出かけたかったのですが、熱帯夜のせいで寝汗がすんごいことになっていたため、泣く泣くシャワーを浴びざるを得ませんでした。
このように、僕は日常になんの刺激も無さすぎるせいで、もはや「朝起きた時に偶然髪型がキマっていた」ことにも幸せを見出すようになってしまっているのです。
そのうち箸が転がるだけで「ああ、僕の住む世界に物理法則があってよかったなあ」と幸福を感じるのではないでしょうか。それはそれである意味救済されているのかもしれません。
さて、『救済』と言えば『宗教』という呼応の関係が国語辞典に認められつつあるのは皆さんご存知のとおりですが[要出典]、本日、僕は奈良県天理市に行ってきました。
天理市は天理教の総本部がある町として有名です。しかし、実は『天理市』という名前そのものが天理教からとって名付けられたものであることはあまり知られていません。そしてこの天理市は、街中の至る所に宗教施設がある土地として一部のオタクたちの間では有名です。僕がその『一部』に含まれていたことはわざわざ言うまでもありません。
ちなみに「天理市へ遊びに行く」とリア垢でツイートしたところ、数人の友人から僕を羨む声が飛んできました。TLの構築に成功したのか失敗したのか判断に困るところですが、彼らが良き友人であることだけは確かです。ただ、良き人間では決してないと思っています。
午前11時30分、僕はJR奈良駅に到着しました。実は奈良県に行くこと自体きょうが初めてだったので、奈良行きの電車が京都駅を出発した直後から僕のテンションは大盛り上がりの大森貝塚だったのですが、慣れない早起きのせいで死ぬほど眠く、移動時間一時間のうち四十分ほどは眠りこけていました。
おかげで車窓からの景色は全く堪能できませんでしたが、ともあれ奈良駅に到達した僕は、さっそく天理駅行きの電車に乗り換えようとします。
しかし、僕はふと考えました。「せっかく奈良に来たのだから鹿と触れ合いたい。なんなら鹿の王くらいにはなってから帰りたい」。そういうわけで、僕は突如として予定を変更し、奈良駅の改札を出ることにしました。
この時点で事前に練っていたプランがすべて水泡に帰したのですが、計画通りに物事を進めるのはあくまでも手段であって、目的ではありません。手段と目的の転倒ほど非合理的で非効率的なものもありませんから、計画を放棄してでも「楽しむ」という方向へしっかり舵を切ったのはその時点での最適解であったと言ってもいいでしょう。
こう書いておけば、「奈良公園の存在を現地に着くまで忘れていた」という大ポカにも情状酌量の余地が生まれるのではないかと思います。
ここ数か月ですっかり慣れ親しんだ京都のバスと奈良のバスとでは乗り方が違っていたり、どのバス停で降りたらいいか分からなくなったりと小さなトラブルはありましたが、僕は無事に奈良公園へ辿り着くことができました。
ここで鹿と触れ合う僕の姿をいちいち文章に起こしても誰も得をしないので、内心はどんな感じで居たのかだけを写真と共にダイジェストでお送りします。
かわい~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
ケツ嗅いでる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!かわい~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
涼んでてかわい~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
イカつい像の下で休んでる~~~~~~!!!!かわい~~~~~~~~~!!!!!!!!
でっか。
フツ~~~~~~~に道の上にいてかわい~~~~~~~~!!!!!!!!!!
でっか。
その他にも鹿にビビッて大号泣する子供をゲラゲラ笑ったり、鹿がウンコするシーンを生で見たり、鹿せんべいを持っているせいで執拗に鹿からストーキングされる大人を見てゲラゲラ笑ったりして、とても楽しい時間を過ごすことができました。鹿ってなんであんなに可愛いんでしょうね。
しかし、今日の僕の目的地は奈良公園でも東大寺でも春日神社でもありません。このまま鹿に囲まれていたい、鹿せんべいをギリギリまで焦らして怒った鹿に服を嚙み千切られたいという思いは強くありましたが、僕は強い意志でバスに乗り、奈良駅へ戻りました。
ちなみに鹿の王には未だになれていません。
駅までとんぼ返りした僕は、次こそ約束の地である天理市を目指すことにしました。天理市までは奈良駅から二両編成の小さな列車で十数分。意外と近くてビックリですね。
向かいの席に女子中学生が座ってきて「通報とかされないだろうな......」と怯えているうちに、列車は天理駅に到着しました。
駅を降りた目と鼻の先に小さめの商業ビルがあるのですが、そこの看板に「おかえりなさい」と書いてあったのが不気味ながらもなんだか嬉しかったです。いま勧誘を受けたら一も二もなく入信してしまうのではないかと思われました。
天理に着いてまず抱いた印象は「意外と閑静な土地」というものでした。宗教施設の集まる街という事前知識から抱いたイメージでは、もっと教徒がウロウロしていて太鼓と笛の音がひっきりなしに響き、教祖を讃える歌の大合唱で地が揺れている光景を想像していたのですが、酷暑ということもあってか街を歩く人の数は少なく、信者らしき人もほとんど見かけません。
まがりなりにも宗教の総本部がある土地ということで、多少強引な勧誘くらいはあるやもしれぬと覚悟を決めて降り立った僕は少し拍子抜けしました。
とはいえ、そうやって油断したところですかさず勧誘に来る作戦かもしれません。警戒心をしっかりと保ったまま、僕は天理本通り商店街へと足を踏み入れました。
なんだか長くなりそうなので、続きはあした書くことにします。
暫定的にさようなら。